ピノコにはブラック・ジャックがいて良いな。チビ猫には時夫やラフィエルがいて良いな。あたしもずっと甘えられて、守ってくれて、愛してくれる存在ができるなら、幼い少女の肉体に閉じ込められても良かった。ロリィタを着た子猫ちゃんでいたかった。自分が大人の女の肉体を持っていることには、常々違和感を覚える。チビ猫に母性が芽生えて、ミルクタンク(おっぱい)がどんどん大きくなって破裂してしまう恐怖の妄想に駆られる話があるんだけど、あたしはその段階からまだ成長できていない。そこまで経験値が極端に不足しているわけではないから、精神年齢は年相応に育ってるはずなんだけど(どうせ早起きするならテーマパークより山に行きたいし、クリスマスの人混みが嫌いだから、恋人ができるなら一緒に静かに過ごしてくれる人がいいし、大学生のグループがワチャワチャ楽しんでると「若いっていいな〜」っていうおばあちゃんみたいな微笑ましい気持ちになるし)、でも、対人関係のスキルは10代のまま止まっていると思う。自分にとって関わって良い人と悪い人が分からない。嫌いなタイプ、関わりたくないタイプは勿論いる。パチンカス・スロカスとか、ナンパ師とか、ホストとか、思慮の浅い発言で他者を平気で傷つける人とかね。でも、そういう人達に(例え利用するためでも)ガツガツ求められたら、一体自分はどう行動してしまうのだろう?気がついたら、妙に疲弊している。あたしの精神は、とても歪んだ形の発達をしている。
たぶん、ずーーーっとぎゅーーーーーってしてほしかった、誰かに。それは今もそう。
自分はおそらく愛着障害持ちだと気づいたのは、ここ最近(少なくとも今年)。診断されているわけではないけど、先生に話してみれば、たぶんその傾向があると言われるんじゃないかな。両親が共働きで、長女だから、幼少期にあまり甘えることができなかった。いちばん可愛がってくれたおじいちゃんも、双極性障害の重い鬱状態になってしまって、そこからは子どもながらに気を遣う接し方になってしまった。今は両親とも、おじいちゃんとも、比較的良好な関係を築けていると思う。でも、それでもあたしの心は、時折不安定になってしまう。もう、家族がすべての世界だった「子ども」ではなくなってしまったから。
あたしは誰かに見捨てられるのが、怖くて怖くて仕方ない。これを書きながらも、ちょっと涙が出てくるくらいには怖い。誰かが急に変わって、自分から離れていくのが怖い。
「あたしのこと嫌わないで、置いてけぼりにしないで、見捨てないで!」って、心の中の子どものままの自分が泣いている。友達にも誰にも離れないでほしい。バイト先で可愛がってくれたパートさん達ですらそう。あのお店に行けば、みんなずっと会える存在でいてほしい。
子どもじみてるでしょ?でも、本心なの。
今日は通院日。少しずつ、自分の中の「子どものまま泣いている自分」との向き合い方を考えていこうと思う。
ほんとはね、家族だけじゃなくて、友達みーーーんなに、「愛してるよ〜」って言われたい。でも直接それを言うのは恥ずかしいから、ここに書き留めておく。
お話してくれるみんな、本当に大好き。
愛してるよ〜